2017年6月30日 第一工場西側の生産ラインを復活。
2017年6月30日 工場として甦りました。
2017年4月13日 第一工場のコンクリート床を補修し、作業場としての利用を可能にした。
2017年4月13日 第一工場のコンクリート床を補修し、作業場としての利用を可能にした。
2017年4月13日撮影 第一工場休憩室をフローリングにリフォーム
2017年4月13日撮影 第一工場休憩室をフローリングにリフォーム
2017年3月7日 震災前まで使用していた休憩室。段ボール置き場として使用。
2017年3月7日撮影 震災以降、あまり使われることが無くなった汎用機。
2017年3月7日撮影 かつて工場だったスペースは倉庫として使用
土砂の撤去がある程度終わり、瓦礫処理が本格的にはじめられました。仮壁はブルーシートでした。従業員さんには本当に申し訳なく思っています。
ある程度の土砂が省かれので設備の引っ張り出しをしました。ガソリンが手に入らない状況にも関わらず、㈱鋼屋さんは郡山から駆け付けてくれました(大型トラック1台と従業員さん5人で)。ただただ感謝です。
3月14日(月)から電気も回復し、第一工場の復旧がはじまりました。まずは土砂を撤去しないことには始まらないので、近所の建設会社さんに頼み込んで、土砂の撤去をはじめてもらいました。何とか出社できた数名の従業員さんに手を貸してもらいながら倉庫から材料を取り出しました。原発事故後人手もぐっと減り、ガソリンが入手困難な状況で復旧は始まりました。
余震も続き、崩れる危険性もありましたが、恐るおそる工場の中に入って見ました。工場内には土砂で押された外壁やサッシ戸が工作機械や材料に瓦礫となって覆いかぶさっていました。電気もつかない変わり果てた工場の中で一人ため息をつきました。
2011年3月11日の大震災時に幣社の西側斜面が土砂崩れを起こし、第一工場は被害を受けました。道路を挟んで東側にある第二工場に居た私は、従業員さんからの「社長崖が崩れました!」の知らせに、瞬間的に青ざめました。人的な被害が無かったことが幸いでした。左の写真は次の日の3月12日に撮影した写真です。